創業物語

※本コンテンツ「創業物語」は2007年11月に取材を受けた内容です。

1992年〜1993年 サイリス、創業

銀行を辞めてみたけれど・・・

ひとことで言えば、サラリーマン生活に嫌気が差して銀行を辞めた。
蓄えがあったわけでも、次が決まっていたわけでもなく
ただ、まっとうな仕事をして社会の役に立ちたいという思いだけがあった。

しかし、すぐに生活に窮した。
そんな時銀行時代の先輩が「手伝ってみないか」と誘ってくれた会社がビルメンテナンス会社だった。
それが、この業界との出会い。まったくの、偶然だった。

作業着姿でオフィス街を歩き、毎日のように床のモップがけや、掃除機がけをした。
床から上を見上げる視線の先には、ワイシャツにネクタイを締めた姿のサラリーマンたちがいた。正直、羨ましくもあり、惨めさも感じた。

そんな日々を過ごすうちに、この業界なら自分の力で起業できるという思いが強くなり、独立した。この先、サラリーマンを続けていく気持ちもなかった。やるしかない。自然な成り行きだった。

なぜ、「この業界なら食べていける」と思われたのですか?

[長尾]
まずは、「“普通”の感覚でやれば、ビジネスになる」ということを強く感じたからです。

普通の感覚というのは、普通の人が「ああして欲しい」「こうして欲しい」と思う感覚をサービスに繋げれば、既存業者に比較優位に立てるということです。
当時のビルメンテナンス業界は、ただ、決められた作業をこなせば良いといった風潮があったし、今でもそうですが、社会的地位も相当低いですから。
つまり、ちょっと頭を使えば、工夫の仕方でいくらでも仕事が取れそうな実感があったのです。
もうひとつの理由は、銀行とは全く関係のない業界で裏表のない商売をしてみたいという想いがあったからです。

1993年 サイリスを設立

お客様目線での付加サービスを

サイリスは整流素子「サイリスタ」に由来する。
この微小な電子部品は、取り付けられた部位の電気の流れを最適化する働きを持つ。 業界構造を「整流」する。
まさに現在、サイリスが業界で担っている役割だ。

掲げたビジョンとは裏腹に、創業当時は地味な作業の繰り返しだった。
昼間は大手管理会社が嫌う細かい仕事を積極的に取り込み、自身でこなした。
夜間にはワンルームの学生マンションの清掃をした。
住人が退去した後のハウスクリーニングである。汚れに汚れたキッチンやユニットバスを強力な洗剤で磨いていく。1部屋、1万円。
夜通しの作業で1晩に5部屋。その5万円で文字通り食い繋いだ。

当時、エポックとなる案件があった。
今までオフィスビルの清掃といえば、中高年の労働者を活用し、裏口からひっそりと入り、作業をこなして退出するものだった。
他と同じでは新しい仕事はなかなか受注できない。
ビルテナントの方々が在室中に行う“夜間清掃”という仕事があった。
魅せる清掃を、と女子大生のアルバイトを起用し、テーマパークを意識した揃いのユニフォームで大手企業へ送り込んだ。
正面入口に整列し、開始の挨拶をする。お客様社員からは拍手があがった。これは、クライアントからも評判を呼び、後にビル全体の受注に至った。

その後、いわゆるビル管理、清掃管理で成長を続けていく。
“お客様の目線での付加サービス”と誠実な対応とを武器に、仕事を獲得していった。
絶対にお客様に「NO」を言わない姿勢、そしてパートナー企業を大切にする姿勢を貫いた。

創立1年目に年商8,600万円、2年目に1億8千万円、3年目には3億6千万円と倍々ゲームで成長されています。何が原動力となり、どんな壁がありましたか?

[長尾]
先ほど、「NO」を言わないということを言いましたが、当時は「言わない」ではなく、現実は「言えない」だったんです。

仕事を取って、それをこなして、給料を払って、自分が食べて・・・、必死な毎日でしたから。
でも、そうやって「NO」を言わないことが、お客様の要望にどうやって応えていくかを考えて、やり遂げて、結果としてお客様から評価をいただけたことが好循環に繋がっていったのだと思います。
「壁」という面では、業界構造でしょうか。建設・不動産の大手が頂点のピラミッドが出来上がった業界ですから、いくら頑張っても「下請」仕事からは、なかなか抜けられないという事実がありました。

例えば、今でもその悔しさを思い出す、こんな出来事がありました。
ある高級分譲マンションの管理業務のコンペに参加することになり、管理組合を相手にプレゼンしたときのことです。
「長尾さん、あなたの提案内容が良いのはわかるけど、管理会社の社名(ブランド)も資産価値の一部分なのよ」と理事の一人に言われたんです。
「そうですか、では、結構です」とその場を後にしましたが、サービス内容にも価格にも相当の自信があった私としてはやはり悔しかった。お客様は、サービスや価格よりも会社の看板、知名度、ブランドを最重要視していたわけです。

この業界の秩序というか構造を再認識するとともに、起業したからには上場企業を目指すという目標と、そうするためには下請ばかりでは限界があると痛感したんです。
サイリスがサイリスたる市場を獲得していかなければ、次のステップに進めないと。

1997年 ビルメンテナンス業からの脱却

コンビニ5,000店舗のクレンリネスプロジェクト

そんな中、サイリスは再びターニングポイントとなる案件に遭遇する。
コンビニチェーンのクレンリネスプロジェクトだ。

当時取引していた大手ビル管理会社からの紹介で、ある冷熱機器メーカーの本社ビルの清掃管理業務を受託していた。 そのメーカーが大手コンビニとの取引の中で、全5,000店舗に店内清掃で使用するモップ専用の洗濯機を取り付け、既存のシンクを撤去するというプロジェクトに参画していた。一部地域では、店舗のリフレッシュ清掃やメンテナンスまで行ってほしいということもあり、サイリスに白羽の矢が立つ。
当時のサイリスは、本社スタッフをすべてあわせても10人足らず。納期2ヶ月、総額3億円の注文だった。当時の年商に匹敵する金額だった。もちろん通常の業務や営業も行い続けなければならない。土台、無理な注文かに思われた。

発想を変え、従来のやり方とは違う手法を編み出すことで、この仕事をやり遂げた。サイリスが独自のマーケットを切り開いていく絶対的な自信に繋がった。自分たちのやり方は間違っていない。合理的にコストを再構築して収益をあげ、お客様の役にたつ。コンビニという、これまで想像もしなかったマーケットを経験したことで、方向性が、少しずつ見えてきた。

このプロジェクトが大きなターニングポイントになったということですが、具体的には、どんな工夫がプロジェクトの成功を導き、のちのトータルメンテナンスへと繋がったのですか?

[長尾]
実は、このプロジェクトは業務がスタートする前の段階で一頓挫あったんです。
というのも、協力してもらう予定だった技術者の全国ネットワークの会社さんにスタートの1週間前に降りられてしまって・・・。
あの時は本当に目の前が真っ暗になりましたよ。
どうしたらいいものか、最初は見当もつきませんでしたから。
そんなときに、受けた仕事の中身をもう一度考え直して見たんです。「洗濯機を運んで店に行く」「洗濯機用の電源をつける」「既存のシンクを撤去する」「洗濯機を設置する」「通電と通水を確認して退店する」「撤去したシンクを持って帰る」と。
そうすると「大きいものを運ばなくてはいけないのだからトラックが必要だ」「コンセント工事と水道工事があるけど、マニュアルがあって多少の訓練さえすれば誰でもできる内容だ」ということがわかってきたのです。これは引越業者が適任じゃないかと。
そこからは、猛烈な勢いで協力してもらえる引越業者さんを探して、交渉して、知人のつてにも頼りました。それと並行して誰でも作業ができて、しかも効率的に回れるように作業用のマニュアルを作って標準化して。とにかく、スタートに間に合わせようと。
ここまでが、一つの発想の転換でした。
もう一つは、コストに対する考え方ですね。お客様からのコスト要求が相場から考えると極端に安い単価で、そのままでは、どの業者さんも受けてくれないんです。市価の半値半掛けが当たり前というようなお客様でしたから。
ここで学んだのが、オペレーション(工程管理)の大切さというか「人が動くことでコストが発生する」ということです。例えば、電気工事士を1人動かそうと思えば当時で日当4万円です。下手をすれば、2つの現場を頼んで8万円を請求されるわけです。でも、彼らがその日に稼ぎたい金額を予め確保してあげることができれば、2店舗でも3店舗でも作業してくれるわけですよ。つまり、スタッフをどう動かすか、綿密な工程管理とマニュアルのおかげで私たちが価格決定権を持てるようになったんです。

トータルメンテナンスにどう繋がったかという点ですが、このプロジェクトで、今まで考えても見なかったコンビニ=小規模小売店舗という市場に気づいたんです。1店舗清掃して3万円、ちょっとした修繕工事で1万5千円とか1件1件の商売は小さいですけど、チェーン単位で考えれば、点が線に、線が面になって何十、何百倍にもなりえる。幸いにも、当時は大手のビルメン会社は商売が細かすぎて見向きもしない市場でしたし。例えば、1回3万円の定期清掃を毎月100店舗で請け負えば、300万円になる。当社にとっては、中~大規模のビル管理案件と同じだけの価値があったんです。
そういった小さなロットの仕事をまとめてチェーン全体で集約して当社がワンストップでサービスすることができれば、ビルのオーナーさんがその煩雑な管理業務をビル管理会社に委託すように、チェーン本部が当社に店舗管理を委託する、そんなビジネスが成立するんじゃないかと。

創業メンバー高橋の回想

当時高橋は社内のすべてを取り仕切る基幹スタッフ。
突然降って湧いた3億円のビジネスに社長以下、営業スタッフが全力で当たれるよう、通常業務の営業を引き受けた。

もちろん、このプロジェクトにもマネジメントスタッフとして参加した。
実際の設置工事や清掃をしていただく協力会社には1件1件頭を下げて協力を依頼した。
本社の女性キャリアの1人が「私も現場にまわります」とスーツを作業着に着替えた。
連日猛烈な勢いで仕事をした。

ハードではあったが、不満を漏らす社員は1人もいなかった。
それはみんなで話しあって、自分たちで選んだ道だったからだ。
一人一人が挑もうと決意したことだったからだ。
誰もが真剣だった。プロジェクトを成功させたいと思うあまり、クライアントとぶつかる事もあった。

そして1998年3月7日。
みんなは最高の笑顔でそこにいた。

打ち上げレセプションがその日、行われた。
「しかし通常業務の方でトラブルがなくて本当に良かったよ」。
長尾が言った。
違う、そうじゃない。

それは創業メンバーの1人、高橋以下3名の女性スタッフが、通常業務を完璧に回し続けた結果なのだ。
トラブルがあったことすら、感じさせなかったのである。
3人の女性スタッフは施工スタッフのために店舗周辺のロードマップを作成し、店舗を廻る順番や道順を細かく記入し、毎日手渡していた。
5000店舗分である。後にあるスタッフは「あれほど分かりやすい指示をしてくれた会社はサイリスさん以外にはありませんよ」と笑った。

高橋が一番大切にしてきたのが、一緒に仕事をしてくれる仲間との絆である。
自分たちはいつもエアコンの効いた部屋の中で仕事ができる。しかしうだる熱さの炎天下に仕事をして下さる仲間、雪の屋外を掃除してくださるパートさま。自分たちはみんなに助けられているという意識を失ったとき、自分は無価値な存在になると心に銘じた仕事だった。

1998年~2006年 トータルメンテナンスの夜明けから現在へ

トータルメンテナンスの基本ポリシー

そうした経験の中から、店舗の清掃を中心に、修繕工事や24時間緊急対応や消耗品の販売などをサービスメニューとしたトータルメンテナンスサービスを作り上げた。
オペレーションでは誰にも負けない、コストだって負けない、品質にも自信がある。

当時の店舗メンテナンスは、一般のビルやマンション管理に比べて、まだ、仕組みが出来上がっていない業界だった。
たとえば、清掃はここ、水道工事はここ、という具合にそれぞれ専門の業者を探して発注する。
業者ごとに見積もりや注文の仕方も、仕事の進め方もバラバラ。とにかく手間がかかった。
メンテナンスに関しては店舗ごとの対応とし、業務を集約していないチェーンもあった。

サイリスのビジネスモデルは、これらのチェーンにとって画期的なソリューションとなるはずだった。
ニーズは絶対にある。だが、売れなかった。
理想と現実のギャップは大きかったのである。

店舗カルテと、全国の施工ネットワーク

まず取り組んだのは、メンテナンスの履歴を残しておくシステムの開発だった。
「店舗カルテ」と名づけた。銀行時代、リテール部門にいたときに携わった個人客の与信照会システムの考え方が役に立った。
チェーン全体のメンテナンスのコストや作業内容が刻々と記録されていき、何にどれくらいコストがかかっているか、依頼した工事はどうなっているのか、店舗ごとはもちろん設備や機器別にも細かく履歴管理できる。
いわば、店舗の地理と歴史を詰め込んだ情報ファイルだ。
チェーンにとって見えにくいメンテナンスコストや店舗の現状が明白になり、何をどう改善すれば良いか一目瞭然となるはずだ。
現在までに数億円投資した。

次に、全国に多種多様なパートナー・ネットワークを構築した。「トータルメンテナンス」と銘打つからには、お客様のニーズは全国に及ぶ。
それに対応できる体制が求められる。
清掃は機械だけで行うことはできないし、ちょっとした工事にも技術者が動く。
サイリスの生命線は、お客様が安心して任せることができる全国均一サービスの実現にあった。実際に業務を担当していただくパートナーさんがいなければ、全く成り立たないのである。

そんなときに、東京都から中小企業創造活動促進法に基づく創造的事業活動企業としての認定を受ける。もちろん、トータルメンテナンスが認められてのものだ。その後、矢継ぎ早に中小企業庁、中小企業金融公庫からも同様のお墨付きを得た。 メディアにも取り上げられた。
その甲斐あってか、ようやくいくつかの取引が成就した。
思い描いていたよりも幾らか遅くはあったけれども、自分たちがイニシアティブを持て得る市場、真剣に取り組める市場を切り開くことができた。

そして、進化し続けること

サイリスは進化し続けている。

それは、お客さまの要求に応えるために、自分たちが成長し続けていくためにでもある。結果として、お客さまにも、現場で仕事をしていただく協力会社の皆様にも、そして自分たちにも、みなが幸せになれるような商売をしていきたいという想いを持ち続けてきた結果だ。

お客様に喜んでいただいているという実感。
お客様にありがとうと言っていただけることがこの仕事の意義であり、これがなければ、モチベーションは続かない。

サイリスは、いまや「何でもできる清掃会社」にとどまらない。
サービスメニューはお客様の課題の数だけ増えた。冬季の除雪、タオル・ユニフォームクリーニングの全国ネットワーク化、資源ゴミリサイクル斡旋・・・。数え上げたらキリがない。
チェーン本部の経営効率を改善し、収益を向上させること、そのためにメンテナンスをはじめとする店舗運営に関わるバックヤード業務を適切に管理すること。それがサイリスに課された新たな使命だ。

トータルメンテナンスのコンセプトを考え付いてから、実際のビジネスに結びつくまでに、かなりの時間を要したようですが、一番の理由は何でしょうか?
また、今現在、サイリスがお客さまに支持されている理由もお聞かせください。

[長尾]
一番の理由は、売り込む先を持っていなかったことです。元々がビルメンテナンス会社でしたし、チェーン店本部との接点は皆無でした。色々なツテを頼って営業に行っても反応は小さい。訪問した先の担当者は、口をそろえて「良いと思うけど・・・」となかなか先に進まないんです。
公的なお墨付きをもらったり、メディアに取り上げられたりしたことで環境が変わりました。チェーンの経営者から直接お話しをいただいたり、銀行や証券会社から紹介いただいたりするようになったんです。そうすると、話が早いんです。「そんなサービスがあるなら、サイリスにやらせてみろ」と、トップダウンで話が決まるんです。そのとき気づきましたよ。アプローチの仕方を間違っていたと。 同じチェーン本部でも、担当者レベルで話を持っていっても、トータルメンテナンスというのは、本部の業務改革を前提とするサービスですから、結果としてその担当者の仕事を奪うことになるんです。普通、自分の仕事がなくなるようなサービスを積極的に導入しませんよね?この仕事は、トップダウンで決断してもらえるお客様で、なおかつ、当社と思想を共有できるような先じゃないとうまくいかないんです。
それから、もう一つ。アイディアや仕組みは良いと頷いてもらえるけど、あれもこれもと視点が“総花的”過ぎて、お客様が本当に必要なものを提示しきれていなかったんです。
これは、その後の大手ドラッグストアチェーンさんとの取引を通じて、様々なサービス開発をお客様のご要望に応じながら進めていく中で、教えてもらったことです。お客様の中でのプライオリティや“旬”をとらえないと、ただ、メニューリストに羅列しているだけでは、良い所取りで終わってしまうと。

当社がお客様に支持される理由ですか・・・

支持されるというわけではないんですが、起業してオーナーになったからには、仕事は選びたい。
当社のスタッフにも嫌な思いをするような仕事をやらせたくないという気持ちがあるんです。
先ほども「思想を共有」と言いましたが、お客様にも会社のスタッフにも言えることなんです。
働くからには楽しいほうが良いに決まってますし、愛着が持てる店舗かどうかも重要です。
辛いことがあっても、それは仕事をしていく上で当たり前のことですし、それを乗り越えてウィン・ウィンの関係とでも言うのでしょうか、仕事に対して誠実に、最大限の努力と知恵を絞って、そういうパートナーシップを築いていくことを目指していますから、その結果、お客様から認められているのだと思います。
もう少し具体的に言えば、「困ったときはサイリスに電話しろ」とお客様社内で言っていただけているということです。

それに応えられる人材とネットワークとを、また、外からは見えづらいことですが、当たり前のことを当たり前にやり続けることができる同業他社には無いオペレーションの仕組みとを作っていることが当社のストロングポイントになっていて、銭金ではないプラスアルファになっているのだと思います。

最後に、サイリスの今後の展望をお聞かせください。

[長尾]
この数年で当社を取り巻く環境が劇的に変わりましたし、これからも変わり続けるでしょう。
特に求められるものが大きく変わってきています。

元々が工程管理や業務の標準化を売りにしてきたんですが、お客様ニーズがそういった方向により鮮明になってきた気がしています。
価格が高いか安いかというのは勿論あるのですが、それよりも、どれだけトータルコストを削減して、お客様が本業に注力していける仕組みを提供できるかを求められているんです。
これまでは、現場作業の質や単価が評価の大部分を占めていましたが、いまでは、マネジメントの質が問われる場面のほうが多くなっています。
そういう背景もあって、当社としても社内で抱えていた清掃や工事の現業部門を廃止し、マネジメントとサービス開発に特化する体制に一新しました。
お客様ニーズの後押しというのもありましたが、何よりもお任せできる協力会社が増えてきたことやこういった方向性に耐えられる中核スタッフが育ってきたこともあります。

当たり前のことが当たり前にできる会社であり続け、その中で関係した人全てが幸せを実現できる。そして、数年後には上場も果たして、100億円企業を目指したいですね。